タイトル画像

逸般人を目指してdotfilesを改造するためにdotfilesを改造する

こんにちは。N本ノック16日目ですね。braveからqutebrowserに乗り換えた静カニです。 さて、私はよくdotfilesを改造しているわけですが、私は何のためにdotfilesを改造しているのでしょうか。 自分で疑問に思ったので考えていきます。

dotfilesの使用場所

まずdotfilesの環境をどこで使っているかで考えてみます。

以上です。学校のPCで使えるわけもないですからこれだけですね。 逆に言うと、この一台で動作確認すればあとはどうでもいいですから、 dotfiles改造しやすい気はします。

使用場面

私物ノートPCでdotfiles環境下でどういう場面で使っているか考えてみます。

こんな感じです。ブラウザの魔改造は、 ここ から始まってまだ間もない(執筆時点で昨日移行した)です。

つまり、「dotfilesを改造する≒NeoVimを改造する」です。 ということでNeoVimをなぜ改造するのかという点で考えていきます。

NeoVimの使用場面

さっきのものの中でNeoVimを使っているものはこのような感じです。

さて、ここでdotfilesを改造するために何をしているか考えてみます。 dotfilesを改造していますね。つまり私はdotfilesを改造するためにdotfilesを改造しています。

ロマン

さてここで一つ考えておきたいポイントがあります。 なぜlazy.nvimより遅いのにプラグインマネージャーを自作したのかという問題です。 考えてみます。

…これぐらいでしょうか。ただ絶対的にこれは理由にならない気がします。

そういえば逸般の誤家庭というものがありますよね。 なんかこれってロマンがある気がします。 このロマンを追い求めてdotfilesを改造している気がします。

具体的にしろ

ロマンってなんか抽象的ですよね。 今回の場合のロマンを具体的に言うとどんな感じでしょうか。

まず、PCがぶっ壊れたときに一瞬で復旧できる、少なくともできそう、という優越感でしょうか。 隣のUbuntuユーザーがバージョン違いで発狂しているのを尻目に、 NixOSで5分ビルドして適当にghq getしたら元通り、というのは優越感を感じます。

あとは盆栽って楽しいですよね。自分独自の洗練された環境があると自慢できますし。

また他人が私のPCで発狂する姿を思い浮かべるのもなんか面白いですよね。 例えば私の場合VIMEしてmozcなんか入れてないので、知らないと半角全角キーを連打することになります。 (ちなみにkanatableもdvorak配列と似たような思想で改造しているので逸般人同士でも発狂するシステム (kanatableの記事))

結局は自分独自が楽しい、みたいな感じですね。

まとめ

逸般人目指して改造していこう (私物PC改造しすぎて職場or学校PCで誤爆しても責任は取らないので注意)