飽き性の利点
こんにちは。静カニです。唐突ですが、実は私、飽きっぽい、飽き性です。ですが、これがちょっと利点になっているところがあるので、書き散らしていきます。
何が?
まず、私は、飽き性とはいっても飽きてきても慣性である程度続けるので、そこだけ留意してください。まず、何といっても 最初のうちは結構頑張れるところ です。 どういうことかというと、興味で始めて、飽きてきてやめるというのをくりかえすのがわたしなのですが、 興味があるうちは、ほかのことに飽きているので結構頑張れるのです。 そのため、例えば、Pythonに飽きてきたとして、Rustに入った最初のうちは情報がよく入ってきても、あとはあまり入ってこないというのがあったりします。 ここまで書いてきて思ったのですが、収穫逓減の法則と似ている気がしますね。 収穫逓減の法則とは、「固定および可変の入力(例えば工場規模と労働者数)のある生産システムで、可変入力がある点を過ぎると、 入力の増加が出力の増加に結びつかなくなっていく。逆に製品をより多く生産するのにかかるコストは増大していく。」 (Wikipedia)ことらしいのですが、 これを「最初のうちは比例していくけど、だんだんダメになっていく」と少々捻じ曲げて考えると、私の飽き性とピッタリです。
次にあるのは、 とりあえず何らかの物事に興味を持ち続けられる ことですね。 興味を持つというのは大事なことだってどっかで聞いたことがあるので(ソース激薄)、これは重要です。 例えば、今、私がAというプロジェクトをいじくりまわしているとします。ですが、これに飽きてくるとどうなるでしょうか。 Bというアイデアをだして、プロジェクトにしてしまうのです。 私の開発はすべて個人開発なので、こういうのがいとも簡単にできてしまいます。 この性格のせいで、私のGitHubアカウントのRepositoriesが32にもなっていたりします。 そこからわかる場合はわかることなのですが、GitHubの活動が全くなくても、私は何らかをいじくりまわしたりしているという感じだったりします。
最後は、 昔取った杵柄がある程度できる です。 これは、習い事とかの方が大きいのですが、一番始めに出した「最初のうちは結構頑張れる」と組み合わさると、結構な威力を発揮します。 つまり「最初のうちに進んでおけば、それをやめた後でも多少はその恩恵を受けられる」ということです。 また、途中で挫折したプロジェクトがあっても、それで多少の知見や経験が得られるはずなので、そこからつなげていくことができます。 ここは2番目のやつとも通づるところがありますね。
実際どんな感じ?
最初の物の例としては、私は、昔は趣味が撮り鉄だったのですが、だんだん飽きてきて、最近はPC・プログラミングになったというのが最も大きな例です。最後のやつの例では、そろばんを習っていたけど、やめてしまった…。というのがあります。
このおかげで暗算がちょっと楽になっている気がします。 あんま変わんないけど。
